今回のブログはその中から特に学びの深かった京都大学名誉教授 鯨岡峻先生の講座、テーマ「発達って何かができるようになるこちらだけ?」演題『障碍の重い子どもの発達と支援〜心の両義性とそれを育む専門職の「働き」』から、「障害という言葉の捉え直し」「発達という言葉の捉え直し」について講師の言葉を抜粋して紹介したいと思います。
「障碍を抱えて生きる日本人は、障碍からくる症状だけで生きる存在ではなく、周囲他者と共に生きる存在です。障碍からくるさまざまな症状や不自由さを抱えながらも、本人は周囲他者と共に生きる喜びや悲しみや辛さや憤りや不満を感じ、周囲他者も障碍のある本人と一緒に生活することでさまざまな不自由や悲哀や困り感や生きづらさ感を覚える一方で、そこに喜びや楽しみを見出して生きているはずです。その時、障碍そのものは、それを低減・改善するためにあるというより、本人と周囲他者が共に生きて行くための所与の条件と言わざるを得ないものではないでしょうか。」この話を聞いて、また、このような話が挙がってくる背景について考えさせられました。
次回は、「発達という言葉の捉え直し」についての言葉をご紹介します。